夏野姉妹と和のある風景②「ありえないマネキン」
2024.09.02 (月)

売上状況も悪くなく、予算達成に向けて全員一丸となった姿勢が売場を盛り上げていた。
そんな折、雄介は突然宣伝部に呼び出された。
商談ルームに入る雄介。
「失礼します!」
そこには、宣伝部の主要メンバーに加え、先般のカタログ会議で苦言を呈した師岡本部長の姿もあった。
「久保主任、実は什器のことで少しお願いがあるんだ」
切り出したのは、宣伝部の柏田課長だった。
「何でしょうか?」
「浴衣売場のマネキンのことなんだ。実はね、師岡本部長のお嬢様が、このたび大学の造型コンテストで金賞をお取りになってね、その受賞作を小鳩マネキンさんがコラボして新しいマネキンをつくったんだ。……でね、それを浴衣売場で使ってほしいんだよ」
そう言って柏田課長は、雄介にマネキン人形の写真を見せる。
「……え?」
写真を見た雄介は思わず絶句した。
それは、アニメ顔という言うにはあまりにマネキン体型に似合わないもので、一体どんなものを着せれば似合うのか全く想像できないようなシロモノであった。
「いやあ。可愛らしいマネキンじゃないですか! 久保主任、今週中には搬入できる見込みなので、ぜひ使ってやってくれたまえ」
「……いや。でもその……、これは……」
言いかけた雄介の隣で、宣伝部呉服担当の夏野美雪(なつの・みゆき)がコホンと一つ咳払いする。
「え? 何か問題あるかい?」
「いえいえ! とても可愛いと思います。早速、この後久保主任と打合せいたします」
恍けた言動の柏田課長に、美雪がにこやかに返答する。
「そうかそうか。じゃ、よろしく頼むよ」
そう言って柏田課長は師岡本部長に軽く会釈すると、二人は余裕の表情で商談ルームから出ていった。
部屋に残ったのは、雄介、美雪、そして宣伝部の数人。
師岡本部長と柏田課長が離れていったことを確認し、雄介が美雪に食ってかかる。
「どういうことですか!? 夏野さん! こんなヘンテコなマネキン、使えるわけないでしょう!?」
「……すみません久保主任。こればっかりは……、どうしようもないんですよ」
雄介に頭を下げつつ、諦観した表情となる美雪。
「久保主任。夏野さんも最初は断ってたんですが、何しろ師岡本部長のお嬢様ということで、誰も文句が言えなかったんですよ」
「課長も本心ではハラワタ煮えくり返っていると思いますよ? センスの良さは抜群ですから」
「ま、長いものに巻かれる姿勢も抜群ですけど」
口々に愚痴る宣伝部の面々。と、美雪が改めて陽介に懇願する。
「そういうわけなんです。久保主任、無理を承知で、何とか使ってみてください。お願いします」
「いや、お願いしますっつっても、この顔に何着せるんですか? 洋服でも合わないんじゃないですか?」
「確かに……」
返す言葉がない宣伝部の面々。
「……と言っても、やるしかないワケですよねぇ。分かりました。……しっかし、ホント何着せりゃいいんだろ」
「ありがとうございます、久保主任。あなたなら分かってくれると思ってました」
美雪が素直に雄介に感謝の微笑みを送る。その美しさに、思わずドキッとする雄介。
「……ん、ああいやあ! ま、俺はいいですよ。でも、他の社員や販売員さんたちのモチベーションが下がらないかが、一番心配なんだよなあ……」
*****
そして運命の週末、件のマネキンが浴衣売場のバックヤードに搬入されてきた。
「うわあ……」
「……マ・ジ・か」
現物を目の当たりにし、マネキン着付けを担当する者たちが呆然とする。こいつは写真で見るより遥かに難敵だ。
「どうした!? お前らの腕の見せ所じゃんよ! ……つっても無理だよな、ウン」
皆を励まそうにも励まし切れない雄介。
しかし、もうサイは振られたのだ。この恐るべきマネキンに売場構成のテイストを崩さないコーディネイトをして、明日からしばらく店頭でお客さんの目に触れさせなければならない。
溜め息をつきながらマネキンに浴衣を着せていく女性社員や販売員を見ながら、雄介はお客さんの失望する顔や、ライバル店のバイヤーが呆れる顔などが次々と浮かび、思わず天を仰ぐのであった……。
**********
浴衣売場にトンチンカンなマネキンが仲間入りして1ヶ月。売上数値は目に見えて落ちていった。理由は明らかだが、それについては何を言ってもはじまらない。
何とか持ち直す方法を雄介が考えあぐねていたところへ、またしても会社側からテコ入れと称した横槍が入った。
それは今年の売場のコンセプトをまるで無視したかのような、先祖返り的ファッションショーの実施。
似たり寄ったりな柄の浴衣に、似たり寄ったりのコーディネイト、それを『今年の浴衣売場が自信を持ってオススメします!』などと謳われてやられた日には、これまで見てくれていたお客さんは果たしてどう感じるのか?
そうした思想は、どうやら会社の上層部にはないらしい。そのことを雄介は、一週間後さらに思い知る。
突如売場に配布されたDVD。そこには、時代遅れとしか思えない昔ながらの『お祭り風景』が収録されていた。
無論、お祭りが好きな人は世の中にはたくさんいるし、そのために浴衣を買うという風習もまだまだある。
しかし、今や夏のトレンドファッションとしての『流行商品』へと進化した浴衣を、今更30年前に戻してどうするんだという気持ちが、雄介をはじめ売場の誰もが感じていた。
そして、止めとばかりにやってきた運命の日。
休日明けで出社した雄介は、バックヤードに3セットの浴衣一式が無造作に置かれているのを見て首を傾げた。
「これは確か……総合入口のエレベーター前ディスプレイ・スペースに陳列していたヤツじゃないか。何でこんなとこに?」
と、そこへ部下の女性社員が出勤してきた。
そして、雄介の顔を見るなり泣き顔で走り寄ってきた。
「久保しゅに~~~~ん!!」
「おい、どうしたんだ!」
「どうしたもこうしたもないです! 昨日、師岡本部長が『いつまで浴衣なんか飾ってるんだ!』とか言って、共用ディスプレイの陳列がみんな強制撤去させられちゃったんです~~~!!」
「何だって!?」
ひとまず確認の必要がある。
雄介は総合入口エレベーター前のディスプレイ・スペースへと走った。
と、そこには『SALE』と胸に書かれた赤いTシャツが3枚、何の装飾もなくトルソーに着せられていた。
「……ざけんなっ! まだこれからデッカい花火大会が2つもあんだぞ? 今が売り時じゃねーか! こんなひでーことあっかよ!!」
激しく憤った雄介は、そのまま宣伝部の事務所へと雪崩れ込んだ。
<つづく>
夏野姉妹と和のある風景③「そりゃキレるでしょ」
2024.09.02 (月)

と、そこには『SALE』と胸に書かれた赤いTシャツが3枚、何の装飾もなくトルソーに着せられていた。
「……ざけんなっ! まだこれからデッカい花火大会が二つもあんだぞ? 今が売り時じゃねーか! こんなひでーことあっかよ!!」
激しく憤った雄介は、そのまま宣伝部の事務所へと雪崩れ込んだ。
*****
「夏野さん!!」
「……あ、久保主任!」
美雪の席へ駆け寄る雄介。
「どういうことですか!? エレベーター前の陳列変えられるなんて! 全然聞いてませんよ!?」
「実は、私もさっき聞いたばかりなの。昨日休んでいる間に、師岡本部長の独断で変えられちゃったらしいのよ」
「あんのヤロー!! 今度ばっかりは許せねぇ!!」
「さすがの柏田課長も、昨日からず~っと不機嫌。課長にしたら、強制撤去はともかく、その後陳列されてるTシャツに我慢ならないんでしょうね。……センスの欠片もない」
「……俺、本部長に直談判してくる」
真剣な表情で踵を返す雄介。
「あ、ちょっ! 久保主任! それはいくら何でも……!!」
そう言いながら雄介を追っていく美雪……。
***
後方部門の役員室。師岡本部長は、その丁度中心に位置して座っている。
「失礼します!」
ノックとほぼ同時にドアを開け、雄介が室内に入る。そして、一直線に師岡本部長の前へと歩み寄る。
ドアの裏側では、美雪が冷や汗をかきながら聞き耳を立てる。
「本部長!」
「……ん? 何だ君は」
「入口エレベーター前のディスプレイは、8月第2週までは浴衣陳列と決まっていたはずです。……突然の変更には何の理由があるんですか?」
「理由? もう7月も終わりだぞ? 店が総力を挙げてバーゲン体制に入る時期だ。もう浴衣など飾っている意味はないだろう」
「そんなことはありません。来週も再来週も大規模な花火大会がありますし、ここが最後の書き入れ時です。スケジュールもそれを見越して決まっていたはずですが……」
「予定など状況によって変わるものだ。もう浴衣を見せる時期じゃない。君はそんなことも分からんのかね?」
師岡本部長の言葉に、ギュッと拳を握り締める雄介。
「……お言葉ですが、今こそ浴衣をメインで見せる時期ですよ? それに、シーズン商品こそ店全体で盛り上げていくのが流通業界の常識なんじゃないですか?」
師岡本部長の眉間に皺が寄る。ドアの向こう側では、美雪が頭を抱えている。
「君は……、何様のつもりだ?」
「他店では、当然のようにこの時期は全力で浴衣をバックアップしてます。……そりゃ、地域差とか顧客特性とか色々あるでしょうが、ここで踏ん張らなきゃ、予算達成に向けて最後まで走れませんよ?」
「予算……達成?」
師岡本部長が持っていた書類を机上に叩きつける。
「君は、自分の立場が分かっているのか? 今年の浴衣の売上はどうなってるんだ! 6月以降、下がりっぱなしじゃないか! ……せっかくウチの娘まで協力してやったというのに、とんだ体たらくだ!」
一瞬凍りつく室内。そして次の瞬間、雄介の糸がプツンと切れた。
「ざけんじゃねー!! あのマネキンのおかげで売上が落ちはじめたんじゃねーか!! あんな訳分かんねーシロモンでまともなコーディネイト提案ができるわけねーだろ!! ……そりゃ、売場の力不足が低迷の原因には違いないです。でもね、身内に足引っ張られちゃあ、売れるもんも売れなくなっちまうってことを、アンタにはちゃんと認識してもらいたいですね!!」
一気に捲し立てた雄介。周囲の役員たちは、皆一様に呆れた表情。
そして、ドアの裏側にいる美雪はその場にしゃがみ込んでしまった。
「……言いたいことは、それだけか?」
震える声で、師岡本部長は雄介を威嚇する。
「出て行きたまえ。……君の処分はいずれ言い渡す」
ここで我に返った雄介。しかし、もはや後の祭りということも瞬時に自覚し、無言で一礼して踵を返した。
バタンとドアを開けて部屋を出る雄介。その雄介を、しかめっ面の美雪が追う。
「久保主任! なんてこと言ってしまったんですか! あの人にあんなこと言ったら、もうどうなっちゃうか、本当に分かりませんよ!?」
美雪を無視し、早足で歩く雄介。
「……久保さん!!」
**********
翌日、会社への背任行為という理由で雄介は子会社のスーパーへの出向を言い渡された。
落胆する呉服部の所属員。そして浴衣売場の販売員メンバーたち。
最も大きな予算組みをしている7月末の時点で、突然リーダーを失った代償は大きい。
その後、浴衣売場の売上は下落の一途を辿り、高級呉服においても雄介のファン顧客は相当数いたため、数値の低迷は呉服部全体に影響した。
雄介への措置に対して『不当人事』であるとの声も、はじめは局地的に囁かれたりもしたが、基本的に人間というものは保守的な存在。自分を犠牲にしてまで自らの主張を通そうとする者など皆無だった。
ただ一人、夏野美雪を除いては……。
*****
「……はい。こちら愛鈴(めすず)探偵事務所。……あー、どしたの? ……フムフム、……フムフム。ほう? そりゃ面白い! 別の意味でも面白い! ……ああ、いやいやこっちの話。じゃ、早速調べるね」
ここは某田舎町の小さな探偵事務所。
ほぼ一人で何でもこなしてしまうここの若き女性所長、それがこの夏野夜美(なつの・やみ)だ。
彼女は美雪の双子の妹。電話の相手は……、当然美雪だったのだろう。
「おっし! 一銭の儲けにもならない仕事かー。うひー! その方が逆に燃えるったら! ……素行調査は弊社にお任せ!ってね。……ちょっと古いか」
一人で百面相をしながら何やらポーズを決める夜美。
何かが、はじまろうとしている……。
<つづく>